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ごきぶりは「せせらぎ」と呼ぶ —伊坂幸太郎『魔王』

生活・趣味

最近、職場にゴキブリが出た、らしい。

私の働くビルは、老朽化が進んでいて来年には建て替えに向けて取り壊される予定なので仕方ない気もしますが、11階に出たというのは少し驚きました。

発見された週末には早速、害虫駆除が入ったらしいですが、どうも一旦は我々のフロアだけの対応だったようで、あまり意味を成していない感じが否めない。移転に向けて各職場で書類の棚卸しが進んでいるから、ビルの中に大量に潜んでいた奴らが各フロアを逃げ回ってるんじゃないかな、なんて想像するとより一層おぞましいです。

そんな話をしていたときに、同僚のひとりが、「奴らは本当に名前がよくないと思う。ゴキブリなんてフルネームはもちろんだし、Gというのも。なんか濁点の響きがいやだ」と言っていて、私は、伊坂幸太郎の小説『魔王』の一節を思い出しました。

伊坂幸太郎の『魔王』でもごきぶりという名称が嫌いな弟がごきぶりのことを「ごきげんようおひさしぶり」であったり「せせらぎ」と呼ぶシーンがあるのです。

その話を私の職場でもしたので、それ以降、Gのことを「せせらぎ」と呼ぶようになりました。「せせらぎをその辺で見た」「せせらぎ駆除が終わったらしい」という感じで使うと、確かに少しだけ身がよだつような感覚は少しだけましになる気がします。

  

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『魔王』でのせせらぎの話が出てくるのは、兄と弟の会話のやりとりの中です(文庫小説では126ページ)。弟である潤也は、私の同僚と同じく「ごきぶり」という名称が嫌いで、「ごきげんよう、おひさしぶり」と回りくどい言い方で呼ぶ、少し変わった若者です。

ファシズムや群集心理などといつも難しいことを考えすぎている兄に対して、潤也がもっと身近なことを考えるように促し、身近なものの例として提案したのが、「せせらぎ」でした。

「例の虫はどうだよ、兄貴」
「例の虫ってなんだ」
「ごきげんようおひさりぶり」
「なんでごきぶりの話をしなきゃならないんだよ」
「あれは興味深いよ。おぞましいけどさ、興味深い生き物だ」
「そうか?」
「あの虫がどうしてあんなに人に嫌悪されているのか、兄貴はわかるか?」
「さあ」
「そういうのを考えればいいんだよ、マクガイバー。そのほうがよっぽど、身近で、現実的だ」
「あれは、動きがはやいからだ。だから嫌われているんだ」
「動きが?まじかよ」
「そうだよ。あれが、ゆっくりとした動作の、亀みたいなのろのろした虫だったら、あそこまで嫌われていない。そう思わないか?」
「確かに、あの速さは恐ろしいよな。でも俺はね、あれはやっぱり、名前がいけないと思うね」
「名前か」
「そりゃそうだよ。ゴキと来て、ブリだからな。あの濁音の続く音はおぞましいよ。あれが『せせらぎ』とか、『さらしな』とか、そういう優しい音の名前なら、まだ、そこまで悪くなかったと思うね」

 

大した話題ではないものの、軽やかな二人の会話が微笑ましいシーン。ゴキと来てブリだから。というところは、確かにそうだ、とみんなが頷きたくなるところだと思います。

 

『重力ピエロ』にもゴキブリのことを話すシーンがあります。

兄弟である泉水と春は、ゴキブリのことを「ベテラン」と呼ぶのです。2万8000千年前に滅びたネアンデルタール人を旧人と呼び、我々の祖先であるクロマニョン人を新人と呼ぶのであれば、何億年も生きているゴキブリは「ベテラン」だと言うです。

話の主題は、人類の祖先についてであってゴキブリについての言及は少しだけですが、伊坂幸太郎作品では、兄弟の会話でゴキブリがたびたび登場する印象があります。

伊坂幸太郎の小説は、ゴキブリに限らず、各作品同士でつながる箇所(ラッシュ、ペットショップ、泥棒、ペット殺しなど)が多々あるので、伊坂さんがゴキブリが大好きというわけではないかと思いますが、少し印象に残ったので書いてみました。

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